アクロス・アソシエイツ・コンサルタンツ

Thursday 28 July 2011

ソニーの盛田さん(その2)

人生を全速力で駆け抜けた盛田さんですが、我々にはもっと働けとか頑張れ、などといった言葉は一切かけられませんでした。入社式のメッセージでは「皆さんは自らの意思で我社に入ってきました。もし仕事がいやでつまらない日々を送るようなことになれば引きとめはしません。大切な人生なので他社に移るなど自由です」と。ケネディーではありませんが“会社が社員に何をしてあげるかではなく、社員が会社に何ができるかを問いなさい”というメッセージです。一方で仕事だけでなくよく遊びなさいと。ご自身も50歳を過ぎてからスキーを楽しみコンサートなどによく行かれていました。

お陰様で我々もよく働き、よく遊びました。しかし、仕事となるとやはりやるなら世界一を目指そうではないか、という哲学でした。ですから次々と世界初にチャレンジをしました。後に会社がやや勢いを失った時のことです。かつて盛田学校の卒業生がこう言いました。「日本で一番目に高い山は?と聞かれたら誰でも富士山と答えられます。では二番目に高い山は?と聞かれれば知っている人は少ない。だからやはり一番を目指さないといけない、これが盛田さんから引き継いだ創業精神です」。

盛田さんの哲学は皆がフェアーに競争をすることで社会全体が向上する、というものです。と言っても一番を目指しても失敗することはある訳で、その場合チャレンジして失敗した人は何もチャレンジせず失敗しなかった人よりはずっと評価が高い。これが盛田さんの哲学で社風になったように思います。あの他社に先駆けて製品化した家庭用ビデオのベータマックスがVHSとの規格戦争に敗れた時も、盛田さんの口から非難は一切聞かれませんでした。担当者が降格された話も聞きません。だからこそ次の8ミリビデオでは成功を収めたのでしょう。経営とはその人そのものです。世の中には色々な会社がありますが、企業風土とか社風は創業者の志によって作られるものです。 (鶴見)

この記事は人材紹介会社センターピープルが英国ニュースダイジェストに掲載した「三角波シリーズ・四海波静か」より抜粋しました。

ソニーを創った不屈の男たち

Wednesday 20 July 2011

ソニーの盛田さん(ニュースダイジェストよりの抜粋)

この欄を担当します鶴見です。まずお断りしておきますが、自分は優秀な経営者でもなくプロのモノ書きでもありませんから、この欄をお読みになって深い感動を受けるとか、為になるとか、そういったご利益はお約束できませんので悪しからず。並の海外駐在員でしたから天地がひっくり返るような面白い経験もしていませんが上司にはかなり変わった人や感銘を受けた人もおられました。そんな人との思い出を中心に書いてみようと思います。

まずはソニーの創業者の盛田昭夫さん。兎に角この人ほどファンを沢山作った人はいないでしょう。北米勤務時代にはよくお会いしてゴルフもご一緒しました。仕事は全力、もちろんゴルフもです。ニューヨークでゴルフをご一緒した時です。一打一打本当に真剣で、私のようにたかがゴルフと,いい加減にやる人間とは大違いです。パットが入らないとメチャメチャ悔しがる。上手くゆくと大喜びする。こんなに一喜一憂していたらさぞかしお疲れになるだろう、と心配しましたが全力を出し切るという表現がまさにピッタリ。プレイした後は、今日は本当に楽しんだという風で清々しくご機嫌です。

ソニーがあのウォークマンを発売した時、盛田さんご自身が一号機をお持ちになりニューヨークのオフィスに来られ我々駐在員を集めて披露されました。ご自分の発案もあってか一段とエキサイトされていました。ところが我々、少なくとも私などは何故こんなモノがそれほど素晴らしいのかといったような間の抜けた受け取り方しかできず、盛田さんの「これは売れるよ」という言葉に適当な相槌を打っていた位です。あの方はあれだけ人一倍何事も楽しむ人だからこそウォークマンの秘めた市場性を見抜けたのでしょう。実際モノを設計した技術者もそれほどヒットする商品に育つとは思っていなかったようですから。あの方の人生はきっと普通の人の数十倍、数百倍、密度が濃かったように思います。そしてファンが多かったこともうなずけます。(鶴見)

この記事は人材紹介会社センターピープルが英国ニュースダイジェストに掲載した「三角波シリーズ・四海波静か」より抜粋しました。

Sony Walkman CM 1988