アクロス・アソシエイツ・コンサルタンツ

Wednesday 31 March 2010

あるトップメーカーの凋落

今回はあるトップメーカーの凋落についての話です。1960年代にアメリカに赴任した頃私の勤めていた企業が画期的な小型軽量のビデオ(VTR)を開発しました。家庭用ビデオの草分け的な商品でした。そのモデルは白黒のオープンリールVTR、まだカセットテープが開発される以前の商品です。当時はテレビ番組の録画や家庭用ムービーはまだ知られておらず、まずはこの楽しみ方を普及させる活動を始めました。しかし、白黒でしかもオープンリール、小型とはいえまだ持ち運びも大変な製品です。本格的な家庭用ビデオの幕開けまでには数年待たなければなりませんでした。それでも企業や学校での研修や教育用途に売れ出しました。

当時はVTRというと米国のAMPEXという会社が開発した放送局用のモデルがすでに市場に導入されていました。AMPEX社は日本の小さな企業が米国に持ち込んだ小型のVTRなどは、それこそ安物の”Made in Japan”で気にもしていなかったようです。ある展示会での経験です。AMPEX社の人がブースを訪れました。そしてしきりに、この小型ビデオの性能について技術的な質問をするのです。つまり自分たちの持つ放送局用のビデオの競合商品になるのか?というのが質問の真意でした。技術的には軽自動車を大型車のCadillacと比較するようなものです。AMPEX社の人は安心してブースを去って行きました。彼はこの日本製の小型VTRの技術が将来AMPEX社の商品を置き換え会社が倒産に追い込まれることになるとは夢にも思わなかったことでしょう。

しかしその後放送局から家庭用まで市場を席巻した日本メーカーもいまやIT系米国メーカーや韓国メーカーに激しく追い上げられています。今日の勝者が明日の敗者に転落するケースはめずらしいことではありません。No.1商品を開発しブランドを育てることは大変ですが、それを自らがぶっ壊すことはそれ以上に至難の業です。1970年以降世界市場で急成長を遂げた日本がその後自己変革に苦しんでいる状況も同じです。

会社のスクラップ&ビルド、破壊と創造、これをうまく成し遂げた者が次の勝者です。これには強いリーダーシップが必要なことは言うまでもありません。単なるリストラでは会社はやせ細るだけです。集中する事業への思いきった投資と負け犬のビジネスを切る勇気、社員のモチベーションを高く保ちながら大改革をどうすすめるのか?私の僅かな経験ですが、それはまさしくマネジメントの揺るぎない信念と熱い情熱、それに戦略的な思考が必要とされます。動かない本社、動かない日本。外地で歯がゆく感じられている方もいるでしょうが、本社が動かないと何も進まないではすまされません。自らが会社の変革の為に小さい一歩でも今日踏み出す勇気が必要ではないでしょうか?世の中にはAMPEX社と同じ運命を辿った会社は枚挙にいとまがありません。
(鶴見)

Thursday 25 March 2010

盛田さんのリーダーシップ

今回はリーダーシップについての話です。私が人生で最も感銘を受けたマネジメントの一人はやはりソニーの創業者の盛田さんです。(ソニーでは上司を“さん”付けで呼んでいます。)盛田さんのマネジメントについてはこれまで本などで読まれた方も多いと思いますので私はわずかな思い出話をしたいと思います。

私は入社数年で米国に赴任になりました。当時はまだ会社も駆け出しの頃で赴任者の数も限られており私は最年少組の一人でした。盛田さんはよく米国に出張に来られその度にお会いするチャンスがありました。と言うのも私は運転の腕を見込まれて(?)空港にお迎えに上がりホテルまでお連れする役を仰せつかったからです。当時はまだ会社もリムジンなどを手配する余裕はなかったのです。ホテルに着くとせっかくだからと部屋でお茶をご馳走になりお話をする機会もありました。交わした会話は覚えていませんが、一方的な話しではなく、こちらの話もよく聞いていただいた記憶があります。

盛田さんの話し上手は有名ですが、その裏には聞き上手があります。盛田さんは何事にも興味を持たれる方で、そんなことで若手の話も聞いて頂けたのでしょうか。よく相槌も打たれ話し手を充分その気にさせる方でした。今にして思えばご本人はこうして様々な情報を吸収されたようです。「話し手は聞き手の立場に立って話すように。聞き手が納得しないのは話し手が悪い」とまで言われていました。リーダーシップとはこのように話を聞く人の身になって話すことで共感を得ることだと言えます。これは勿論聞き手の耳に心地よいことを話すことではありません。盛田さんの厳しいお話でも聞き手は納得し心を動かされ、行動に変化が起きます。

話は変わりますが、第二次大戦も終局を迎えた頃、硫黄島での戦いで指揮をとった栗林忠道中将は戦いの前に全員の将兵にこう話したと伝えられています。「もし硫黄島が陥落すればここは米軍の恰好な爆撃機の基地になり日本への空爆が一層激しくなる。そうなれば残された家族はじめ多くの人が犠牲になる。その為に我々は無駄な自決をせず最後まで戦うのだ。」実際硫黄島での戦いは壮烈をきわめ、二万人以上の日本兵が命を落としましたが、米軍もそれを上回る二万六千名以上の死傷者が出ました。栗林中将の言葉は全軍の兵士の心に響き、このような戦いになったと言われています。これは決して美化される話ではありませんが、やはりリーダーシップとはこのように聞き手の心に訴えるものがあり、それによって行動が起こされるものと言えます。会社で上司がただ命令を出しているだけではリーダーシップがあるとは言えず行動にも結びつかないでしょう。皆様のご経験はいかがでしょうか?
(鶴見)

Tuesday 16 March 2010

フットボールと電力消費のおかしな関係

今回はちょっとした小噺ですが、結構笑えます。

イギリスの電力消費は冬、特に日照時間が短い12-1月に最大となります。また1日の中で見てみると、オフィス、家庭の明かりが点きだす夕方に最大ピークを迎えます。照明が電力需要の大きなファクターになっていることが分かると思います。この点はエアコンによる夏場の電力消費が大きい日本と大きな違いです。

先日同僚のコンサルタントたちと英国の電力供給を一手に管理している民間企業であるナショナル・グリッドのコントロールセンターを見学してきました。アポロ計画のヒューストンセンターのような大きな空間と正面にあるイギリス全体の電力供給状況が一目で分かる巨大なパネルが印象的です。以前は多くの人が常時配置されていましたが、現在はコンピューター化され数人で運営されています。ご存知のように電力はガスと違ってタンクのようなものに蓄えておいて必要に応じて使用するわけにはいきません。従って需要に応じて24時間、週7日体制でNewburyにあるこのセンターで管理しているわけです。

一般的に日照時間、気温その他の要因に基づいてある程度通常の電力使用量(ベースロード)は予想することができます。英国の発電は主にガス、石炭、石油を燃料とする火力発電に頼っており、このベースロードをカバーする分の発電能力は確保されています。このコントロールセンターが殺気立つのはこのベースロードを大幅に超える瞬間的な電力消費(スパイク)が予想されるときです。係官が控えていて“モニター”を見ながら、「今だ!」という合図で普段は使わない非常用のガスタービン発電機(飛行機のジェットエンジンを想像してください)のスイッチを入れるわけです。

実は経験的にこのスパイクは事前に予想が可能です。代表的なものはイングランドチームやFAカップのファイナルといった大きなフィットボールの試合のハーフタイムです。このときには英国全土の何千万という家庭でいっせいに電気ポットのスイッチを入れる(当然ティー)、トイレに行くといった同じ行為が行われるからです。またイーストエンダーやコロネーション・ストリートといったソープ番組で大きな事件が起こったときにも同様な事態になります。つまりこのときにコントロールセンターの係官が一生懸命見ているモニターは何を隠そう、実はテレビなんです。 (西川)

Sunday 14 March 2010

システムビジネスのジレンマ

今回はメーカーのシステムビジネスについての話です。ここで言うシステムビジネスとはハードとソフトが組み合わされソリューションとして提供されるビジネスのことです。私は長らく放送局や企業向け業務用機器のシステムビジネスに携わってきました。例えば放送局のニューススタジオやテレビ中継車などが典型的なシステムビジネスです。このシステムを構成する主要な機器例えばビデオカメラやVTR,モニターなどを自社で開発しこれ等を単品で売るだけでなくシステム化して付加価値を付けることで業界でも1,2を争うトップメーカーとなりました。

自社製品がシステムに組み込まれることで事業部側の売り上げに貢献します。製品はシステム化された時に、互いに連動してうまく作動するように設計されます。これがメーカーのシステムビジネの基本モデルです。これはお客にとってもメーカーにとっても都合の良いモデルですが、ある時一部のお客からこんな声を聞きました。自分たちは特定のメーカーやその製品に囲い込まれたくない。システムの構成は他社製品で自由に代替えできるようなものを提供して欲しい、ということでした。自社にとって都合の良いモデルは必ずしもお客を満足するとは限らないということです。

社内ではこんな議論もしました。“他社製品で構成されるシステムビジネスでは利益がとれず成り立たない”“そもそも自社の製品を有しているメーカーが中立な立場でシステムビジネスをやろうとすること自体現実的なのか?”云々。これはジレンマです。利益相反型のビジネスモデルかも知れません。かつてIBMがハードを売るセールス組織から脱却してお客のベネフィットにフォーカスしたサービス会社に変身しました。我々もここまで割り切るべきなのか?いや、我々はあくまでハードを開発、設計し製品を売る中でのシステムグループだ、システムセールスを「自社製品を売るためのセールスチャンネル」の位置づけは変えずに他社製品へのアクセスも可能にしてお客のベネフィットを最大化しよう。お客を囲い込む戦略からお客のベネフィットを最大化する戦略をとろう。この二兎を追うビジネスモデルは微妙なバランスの上に現在も成り立っているようです。その後この分野にもデジタル化、IT化の波が押し寄せシステムは益々オープンなものになってきました。こんな状況下で「ハードメーカーのシステムビジネス」をどう成り立たせるのか?この問題について皆様はいかにお考えでしょうか?ご意見をお聞かせください。
(鶴見)

Sunday 7 March 2010

マネジメントX氏の知恵

今回はギリシャのマネジメントX氏についての話しです。一般的に欧州に進出した企業は国に代理店を作ったり、支店や販売会社、加えて欧州を統括する本部を設立するところも多いようです。この二重構造の故、本部(セントラル)と支店(ローカル)がいわゆるダブルレイヤーとなり、経費の増加、機能の重複などの問題に悩む企業もあります。この問題を解決するために、企業はローカルの権限を中央に集結したり販売会社を集約したりと様々な手を打ちます。このリストラクチャリングは時には中央集権化、時には地方分権化となり振り子が振れる度に欧州の人間にとってはフラストレーションの原因にもなります。

さて、こんな中で私はある国の実績に注目しました。それは小国ギリシャです。数年にわたり最高の実績をあげ社内のベストマネジメント賞の表彰も受けました。そこで、この国の責任者のX氏にその秘訣を聞いてみました。彼曰く「国の販売会社はローカルにしか出来ないこと、つまりお客とのタッチポイントであるセールスやサービスに専念する。欧州本部が責任を持つ分野には一切ローカルは関わらない。これでローカルのコストも下がるし本部/ローカルの間で仕事の重複も起こらない。」つまりダブルレイヤーで費やす余分な経費や時間は結局両者の間で仕事の分担や“つなぎ”がうまくゆかずに、協力するより反発することで自らの首を絞めている、ということなのです。

言われてみれば当然ですが、どうもこのセントラルとローカルがWin/Winの状況を作るのは容易ではないことが欧州では実感されます。ローカルで起こる問題、例えば商品の品不足は欧州本部の読み違いが理由で工場の出荷遅れとなり、一方国の売上予算未達成はローカルの販売努力不足が原因ということでお互いの非難が始まります。英語でいうpoint fingerです。実際は両者の協力関係があればうまく行くケースも多いのですが。

では”何故ギリシャのような小国のマネジメントが欧州本部とのOne Teamを作ることが出来たのでしょうか?”勿論X氏の卓越したマネジメント力があります。これからは私の個人的な推論になりますが、これに加えてギリシャのような自国にリソース(人/金/物)が無い国は他人をうまく利用してビジネスをする傾向があるようです。一方大国であるドイツなどは自前のリソースで、自らのやり方を固持しようとします。セントラルの欧州ポリシーに反対なら自分でドイツ流に変えるのです。このように、欧州では“持てる国”と“持てない国”の違いが至る所で見られます。欧州内部をうまく一つの方向へまとめ、余計な内部調整に時間と労力をつぎ込まない経営。こんな知恵を小国ギリシャのマネジメントX氏が教えてくれました。皆様のご意見をお待ちしています。
(鶴見)

Tuesday 2 March 2010

海外販売体制とグローバルマネジメント育成

今回は海外販売体制とグローバルマネジメント育成についての話です。多くの日本企業は戦後、海外市場に進出する中で当初は現地の販売代理店を活用しましたが、その後直轄の現地法人に切り替えたケースも多かったようです。欧州でも主要国に現地販売会社が設立され欧州本部も設立されました。私が最初に欧州に赴任した当時まだユーロは存在しておらず、各国の販売会社は外貨建ての商品を輸入しローカル通貨で販売をしていました。為替の変動やマージン、オペレーションの違い等で販売会社の実績にも差が生じました。しかし1999年にユーロが誕生すると域内では一物一価になり各国の価格裁量権は無くなりました。また各国に分散されていた機能もshared serviceとして集約され効率化が図られました。今後は更なる変化が予想されます。

さて以上のような海外販売体制の移り変わりはグローバルマネジメント育成にどのような変化をもたらしたでしょうか。まずは代理店時代ですが優秀な代理店にはよく商売に卓越したオーナーがいて若い頃はこんな人から商売の基本を学んだものです。商品の価格交渉などは厳しいが貴重な体験でした。代理店が自社の販売会社に変わると内内の取引となり価格体系も変わります。それでも自前のオペレーションである販売会社としてはかなりの独自性を発揮する余地がありました。販売会社経営はマネジメントトレーニングの最良の場でした。

しかしEUやEuroなどで地域内の均一化、ボーダレス化が進むにつれ国ごとに経営リソースを独自に持ち独立して経営する余地は少なくなります。例えば独自の広告宣伝も限定され欧州内で同一キャンペーンが企画されます。分散投資より集中投資が効果的という訳です。ローカルマネジメントに求められる付加価値は国内のセールス、サービスやブランド作りにシフトされます。海外販売体制の変化と共に現地マネジメントの役割も変化してきた訳です。

そこで問題です。代理店との取引から自社の販売体制に移りそして地域内の統一化が図られ更にグローバル化が進む中で有能なマネジメントをどう育てるのか、という問題です。人の能力は自由な裁量と責任と権限のある環境下でより効果的に開発されると仮定すると、今日のIT情報技術の発達、グローバル市場の変化、更なる地域の集約化が図られる中でグローバルマネジメントを今後どう育てるか一層の工夫と知恵が必要な気がします。新しい環境下では新しいチャレンジがあります。これからのグローバルマネジメントを育成する環境は一昔と大きく違ってきていると感じます。皆様のお考えをお聞かせください。
(鶴見)