アクロス・アソシエイツ・コンサルタンツ

Friday 25 June 2010

ステータスシンボル

最近マネジメントの個室は昔に比べて随分質素でサイズも小さくなりました。その理由は土地代の値上がりの他に仕事の仕方が変わったことが考えられます。ネットの普及で今や自分のオフィスを持つ意味も少なくなってきました。紙のファイルに必要なスペースも要りません。個室が必要なら共有の会議室を使えばことが足ります。

私が20年前に英国に初めて来た時、立派なオフィスが用意されていました。実はこのオフィスは出来た当初は外からリクルートしたローカルの英人トップに用意されたものであり、彼は社会的にも地位の高い高名な人でこのオフィスは彼に相応しいものと思われます。しかし日本人の自分には相応しくないと感じたものです。日本の本社を思えばこの英国のオフィスは贅沢でした。日本と英国を同じ基準を当てはめるのは間違いですがそれが正直な気持ちでした。またこんなことも考えました。それは我々のお客様である放送局の方が訪ねてこられた時にサプライアーが立派なオフィスに入り、立派な車に乗っていたらどう感じられるかということです。会社のイメージは大切ですが、ビルや車やオフィスを立派にするより、製品やサービスを充実させて欲しいとお客様が思われるのは当然です。

会社が大きくなるとそこで働いている人の感覚も変わってきます。そこに不必要な贅沢や社会的に見ても不合理が出てきます。社会的なステータスシンボルはオフィスやビル、車などではなく、それはお客や働いている人、株主から尊敬される会社の格であるべきです。単に利益を上げるだけでは格が高いとは言えません。昔盛田さんは人格があるように社格というものがありそれを高めることが大切と説かれていました。個人のステータスシンボルは階級社会であるイギリスには今後も残り続けるでしょうが、それが物質的なオフィスや車などではなく、その人の資質や人格であればと願っています。外部から目に見えないステータスシンボルこそが重要と思うのですが如何でしょうか?
(鶴見)

Wednesday 16 June 2010

これからのオフィスは?

今回はオフィスについての話です。ずっと以前のことですが、当時アメリカの東部ニュージャージー州にある4階建てのお洒落な自社ビルのオフィスに勤めていました。その地区は高級住宅のある閑静な所で今思えば場所代もかなり高かったろうと想像できます。



マネジメントクラスの人には小さいながら個室が与えられていました。部屋には医者のように、大学のディプロマ、賞状や家族の写真などを飾っている人が多かったようです。一般の人は大部屋に机を並べていましたが、個人の机やファイルは隣とパーティションで区切られています。この仕切りの高さがかなり高くオフィスを見渡しただけでは座っている人の影も形も見えません。一人一人にまるで個室のオフィスで働いているかのような空間が提供されていました。このプライベートな空間を作ることが米国人にとって他人に邪魔されず能率も上がり好まれたものと思われます。(勿論居眠りをしていても分かりません)。



今思えば当時はまだ今日のようにオフィスは静かなパソコン中心の世界ではなく電話や話し声などの喧騒が聞こる場所でした。ある日のこと、東京の本社からこのパーティションを低くして働いている人の顔が見えるように、との指示が出ました。日本のオフィスを知っている赴任者にとっては何の抵抗もありません。むしろその方がオープンな雰囲気もありお互いのコミュニケーションも良くなるように思ったものです。しかしアメリカ人にとってはどうだったでしょうか?



その後様々なオフィスで働きましたが、傾向としてはマネジメントの個室は廃止、または必要最小限、そして外から見えるガラス張り、一般の人のデスクもオープンでパーティションは無く、決まったデスクもない会社もあるようです。また連携すべき部門間に溝がある「サイロ化」の問題がある場合、同じフロアーで隣接させるなどの工夫をしたこともあります。思えば入社当時は大部屋に課ごとの小さなブロックがいくつもあり、お互いに背中がくっつきそうな狭さの中で働いた覚えがあります。違う部署の人も声を出せば届く距離で、改まって会議などやらないでもすぐに意思の疎通が出来ました。現在はPC,携帯電話、TV会議などでコミュニケーションが改善されたかと言えば、必ずしもそうではありません。やはり実際に顔と顔を合わせ、お互いに感情を感じ取る生のコミュニケーションは以前にもまして重要になっています。その意味で「オフィス」の在り方を再考する良い時期だと思います。
(鶴見)

Monday 7 June 2010

社内派閥

このところ英国もようやく夏らしい天気になってきました。皆様はお元気でご活躍のことと思います。さて今回はマネジメントのある行動について考えてみたいと思います。昔米国で勤務していた頃、あるローカルマネジメントのトップが就任しました。彼は某米国企業のトップだった人で大変優秀な人であったと記憶しています。その人は就任後周りのスタッフに自分の元いた会社の人を新たに雇いいれました。

このようにトップが周りに自分の息のかかった人間で固めるのは欧米企業ではめずらしくありません。社内ではいつしか、「XXマフィア」と呼ばれる集団ができました。日本では学閥がある会社もありますが、気心の知れた連中で固める派閥のようなグループが出来てしまう企業も少なくないようです。

チームワークという面ではメリットもあるのかもしれません。また知人でも優秀な人を採ること自体はプラスなのでしょうが、悪くすると自分の保身のためにお気に入りの人間で周りを固めることにもつながります。これでは人の正当な業績の評価ができなくなり、社内のモチベーションに問題を生じ、企業の弱体化にもつながります。ある日系の現地会社では優秀な(と思われていた)現地人のトップをおいて安心していたら周りを無能な人間で固められてマネジメントがうまく行かなくなった話を聞きました。

繰り返しになりますが、お友達の中でも優秀な人間はいますので、このような状況をどう評価するのかは注意が必要です。しかし何と言っても、このような閥や特定のグループをつくる体質こそが問題です。私のロールモデルである盛田さんは人をその気にさせることが上手でしたが、同時に人の能力の評価、限界については厳しい目を持っておられたと感じました。

社内で変なグループ化ができるようになる原因はやはりトップの姿勢や人の評価能力にあるように思えます。そして海外オペレーションのような疎遠な場所で同じマネジメントが長期的に指揮をとるのは権力が大きくなりすぎたり、人の硬直化を招くことで風通しが悪くなったりグループ化が生じる場合もあり要注意です。皆さんのご経験はいかがでしょうか? (鶴見)