アクロス・アソシエイツ・コンサルタンツ

Sunday 23 January 2011

「素晴らしい」運動選手であることの意味

全豪オープンテニス大会で錦織圭選手が日本男子として1965年の石黒修選手以来実に46年ぶりに3回戦に進出しました。3回戦は残念ながら第9シードのスペインのベルダスコ選手に負けてしましましたが昨年の怪我を克服しての大健闘でした。

以前、錦織選手があるメディアのインタビューでこんな発言をしたことを記憶しています。それは彼が日本人としてプロテニスプレーヤーという困難な道を歩んだことに対する感想でしたが、彼曰く「プロテニスの選手でやってゆくのは勿論多くの困難はあるが、大変ラッキーなことに現在のプロのトッププレーヤーであるフェデラーやナダルが“素晴らしい選手”であるお陰で自分としても遣り甲斐がある」ということでした。

この“素晴らしい”ということは、単純に強いというだけでなく、人格やマナーなど全ての点で模範になる、という意味だと思います。私もフェデラーとナダルは大のファンですが、彼らの強さ、巧さに加えてフェアーで真摯な態度にはいつも感激させられます。錦織選手はこのようなトッププロに素晴らしい選手がいるプロテニス界でプレーできる自分が幸せということでした。

同じようなことはテニスのみならず他のスポーツや企業にも言えるのではないかとその時思ったものです。例えばプロゴルフでタイガーのようなトッププロのスキャンダルがゴルフ業界全体に与えた悪影響は計りしれません。そして企業の場合でもそこの長が全体に与える影響も同様です。業績を上げるだけでなく、人間性が豊かでフェアーなトップがいてこそ会社や部門全体が活気づき、全員のモチベーションもあがるということを皆様も経験されていることと思います。皆様も是非錦織選手のようなコメントを部下からもらえる上司、トップを目指してください。
(鶴見道昭)

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